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庭とわたし 梅棹忠夫 1965年1月『週刊朝日』

ひろさ一〇坪、ぐるりは書庫つきの廊下にかこまれ、借景などはもとよりなく、植物はナンテンがたった一本しかない。手水鉢をはじめ、石はすべて百数十年来の西陣の先祖の家からうつしたものばかりで、下地をコンクリートでかためたうえに、花崗岩をくだいた「白川砂」をしきつめ、水はけは上々。工費五万円。

京都大学農学部造園学教室の吉村元男氏との合作、手をくだした老庭師に「こんなむちゃな石のおきかたはじめてや」とぼやかれた。
もともと平仄にしたがった観賞用の庭ではなく、わたしは自身が参加するための庭、つまり部屋の延長で、この円環状にならべた石のうえをあるきながらかんがえをまとめる場所なのである。しかし、つくってみて、庭づくりに夢中になるひとの気もちがよくわかった。

[吉村元男さん] 昭和12年(1937)京都市生まれ。風景造園家。京都大学卒業後、自然環境と人工庭園の結節点の研究、実践を続けた。鳥取大学教授を経て、現在は(株)環境事業研究所所長。平成5年(1993)完成の大阪・新梅田シティ「空中庭園」も作品のひとつ。
「わたしは昭和33年(1958)に京都大学に入り、探検部に入部したのを契機に梅棹忠夫先生のお宅を訪ねるようになりました。そのうち先生から“やってくれませんか”といわれ、わたしは図面を描きました。先生にも構想がありました。枯山水としたのは、“植物の世話をするのは大変やね”と先生がおっしゃったからです。枯山水の庭園は深山幽谷から大海までの風景を、水の流れを使わずにつくりあげた日本独特の庭園です。座して見る庭としてつくられたと考えられていますが、あの有名な龍安寺さえも、かつては庭に入り込んで石組みを鑑賞していたんです。梅棹先生は円環状の飛び石を歩いて考えをめぐらせておられました。その意味では、枯山水の庭園をかつての姿で楽しんだ“庭の改革者”です。飛び石に車座になってビールを飲もうと先生といいあったのですが、石に座ってビールをご一緒することは、ついぞありませんでした」